| 2004年 6月 16日(水) |
天岩戸
慎吾はまだお篭りを続けているようだ。
さすがに授業には出てくるようだが、私を徹底的に避けている。
念のためにと思って生徒会室にも行ってみたが、やはり姿が見えなかった。
その代わりと言うか…いたのは祥太郎先生だ。
何か思いつめたような目をした祥太郎先生は、直哉が少し遅れてやってくると、早速すがりついた。
「直哉君〜、お願いがあるんだけど…。」
うっ。我が校、直哉には特にR指定の、祥太郎先生のおねだりウルウル眼だ。
「帰りに家に寄って欲しいんだ。」
「な…なんですか、急に。」
空々しく冷静を装っているが、上体が30度ほど傾いているのはごまかせない。
「ザリ子がいなくなっちゃって…。」
「ザリ子って…。」
……まだザリガニか…。
「うん、この間、池に放すことになったとき、お名残惜しいから1匹だけ桜庭君にもらったんだ。
だけど家、水槽ないし、お風呂場の洗面器に入れておいたんだよね。そうしたら、今朝見たらいなくって。
夕べは僕、お風呂場の戸を開けっ放しにしちゃったらしくて、なんかどっかでカサカサ言っているんだけど、どうしてもみつからないんだ。
お水上げないと、ザリ子が干からびちゃうよう。
ねえ、お願い、直哉君、一緒に探して!」
祥太郎先生は顎の下で両手を組むと、直哉をじっとり上目遣いで見上げた。そしてくすんと鼻を鳴らす。
直哉がよろりと足もとをふらつかせた。
「わ、分かりました。すぐ探しに行きましょう。
そゆことで、俺ら今から帰るから。」
じゃっ、と、片手を上げると、直哉は祥太郎先生の肩を抱かんばかりにして、しかしおぼつかない足取りで帰っていった。
私が呆れてため息をついていると、咲良がぼそりとつぶやいた。
「祥太郎先生の家って、猫いたよね…。」
私は思わず固まった。
猫と言えば、ザリガニくらい食うのではないのか?
いや、食わないまでも、おもちゃにすることは確実だろう。
そして、人間の祥太郎先生に見つけられなかったザリガニも、鋭い嗅覚で探し当てるに違いない。
あ………、怖い考えになってしまった…。
しかし、祥太郎先生を確実に待っている惨状は、きっと祥太郎先生のザリガニ熱を冷ましてくれるに違いない。
そうなると、後手におえないのは…馬鹿筋肉だけか。
私は意を決して、慎吾の寮へと向かった。
私がしつこくノックを繰り返すと、やっとのことで慎吾の部屋のドアが薄く開いた。
見上げる長身は、今日はどんよりと不機嫌そうだ。
「なんやの、俺今忙しいんや。」
そう言ったきりドアを閉めようとするので、慌ててつま先を隙間に突っ込む。
「お話があるんです。ちゃんと開けてください。」
「俺には話なんてないで。」
ムカッ! 筋肉の癖に、生意気にも私に逆らうことを覚えたとは…。
「あなたが拗ねているのは、ザリガニのことでしょう? それならちゃんと飼うという約束を守れなかったあなたが悪いんじゃありませんか。
咲良や瑞樹に当り散らして、みっともないと思わないんですか!」
「ちゃうやん、最初に約束守らせんかったんは、天音やない!」
「私が? 私がなんの約束を守らなかったっていうんです!」
「修学旅行から帰ったら、うんと乱れるゆうたやん! 俺ものすご楽しみにしとったのに…。」
くらり。思わず目が回る。
どうして英単語や公式はあっという間に忘れるくせに、お道具を使ったセックスをするなんて言う約束だけはきっちり覚えているかな、この筋肉は…。
「だからせめてストレス発散に、かわいいザリ子たちを捕まえてくれば、みんな捨てさせるし、俺もうモヤモヤでどうかなりそうやわ。
この上はもう一度ザリ子たちを捕って来て…。」
「また生徒会室に置くつもりですか!」
「いーや、今度はそんなことですまさへんで。」
慎吾はにやーと笑った。
「プールに放したる。そこならザリ子たちにもいい環境やし、今週末のプール開きまでに捕って捕って捕りまくって、ザリガニプールにしたるで!」
ザ、ザリガニプール…。
それはいや過ぎる…。
たとえ1匹でもあやつと共通の水に入るなど…考えられない…。
ましてやうっかり口に入りでもしたら…考えるだけで失神しそうだ。
しかし、慎吾はやると言ったらやるやつなのだ。
私はようやく意識を保って額を押さえた。
このお馬鹿をまっとうに言いくるめようとした私が愚かだったのだ。
「わ…分かりました。私が例の約束を守ればいいんでしょう?」
しぶしぶそう言うと、たちまち慎吾の顔がぱあっと明るくなる。舌を長く出した犬みたいな表情で、慎吾は大きく頷いた。
………こいつ。目に物見せてやる。
私はその変態プレイを承諾はしたが、私が縛られるのを承諾したわけではないのだ。
「そやねん、最初から素直に約束守ってくれたらよかったんや。」
慎吾は私の腹のうちなど思いもしない様子で、あっという間にいつものにこにこに戻った。
「…そんなプールじゃ、咲良たちが可哀想でしょう? 私だってご免です。」
「えー、絶対ザリ子たち、かわいいのになー。」
………まだ言うか。
しかしとりあえず私の犠牲的発言で、慎吾のザリガニフィーバーは回避できたようだ。
しかし、私は犠牲になるつもりは毛頭ないのだ。
今週末…、首を洗って待っていなさいよ、慎吾。