| 2004年 6月 23日(水) |
緑の黒髪
生徒会室に向かう途中で、直哉と鉢合わせた。殊勝にもちゃんと日直をこなしていたらしい。
そう言えば、直哉はここ数日、生徒会室で隼人とぶつかっていないのだ。
きっと隼人が巧妙に直哉を避けているのだろうが…すると、直哉はあやつのしでかしている騒ぎを知らないわけだ。
今日あたり隼人と遭遇しそうだ。直哉のやつ…驚くぞ。
生徒会室に近づくと、案の定大きな声がする。直哉が顔色を変えた。
「あの声…隼人か!」
慌ててドアを押し開ける。後ろから付いていった私は、直哉の背後から生徒会室の中を窺った。
今日は祥太郎先生が来ている。だから隼人のボルテージが上がっているんだな。
「さあっ、どうなんだよ! 責任問題だろうが! 生徒を傷つけて責任とらないっていうのか!」
ソファーに祥太郎先生と子犬たちが掛けていて、隼人はその前に仁王立ちになって怒鳴っている。
子犬たちはいちいちびくびくすくんでいるが、祥太郎先生と来た日にはまったくキョンッとした顔だ。
「んーとねえ、一応僕、これでお給料もらってるから〜。」
「隼人! おまえ何やってる!」
直哉が踏み込むと、隼人はあからさまにしまったと言う顔をする。
だが、今日あたり決着をつけようとでも思っているのか、簡単には引き下がらない様子だ。
「兄ちゃん、ちょうどいいや。俺、こいつ引っ込めるからな。
白鳳の根幹の生徒会に、こんな無気力教師がいたってだめだろ!
あんな失態、外部に漏れたら、新聞ネタものだぞ!」
「え〜、あんな失態って、どの失態だろう。僕結構失態多いからな〜。」
祥太郎先生がのんびり言う。
「えーと、生徒の喫煙を止めそこなってやけどしちゃったこと?
それとも、興奮した生徒に引き倒されて、肋骨折っちゃったこと?
あ、生徒に自宅のカギをコピーされちゃったりもしちゃったな…。」
うっ…。隼人が思わずたたらを踏む。
全部隼人がらみの失態だ。もし隼人が外部に漏らそうとすると、自分か直哉にまで手痛いしっぺ返しが来そうだ。
「うーん、でも、それじゃ気がすまないって生徒がいるなら、やっぱ責任とるべき?」
祥太郎先生は直哉を見上げた。
「どうしよう、直哉君。僕、暇になっちゃうなあ。放課後とか、誰か付き合ってくれないかなあ…。」
「そっ、そう言うことなら、俺が四六時中でもお付き合いいたします!」
「だ────────っ!!! そんなの駄目だーっ!」
祥太郎先生…わざとやってるな…。
「な、な、なんだよう! 兄ちゃんどうしてそんなやつの肩もつんだよう!
そっそいつはっ、教師の癖にマーメイドなんかに選ばれちゃうやつなんだぞ!
代々のマーメイドなんて、みんな女みたいなオカマやろうじゃないか!」
ぶちいっ! 私のこめかみから血が噴出すのが見えるようだ。
私は母もおばあさまも尊敬している。だから女性をないがしろにする気はない。
だが、女みたいなオカマと言うのは…女みたいな男というよりまだ悪い。中途半端の不出来物とののしられているようなものではないか。
「ふ…ふふふふふ、この私を前にして、よくそんなことを言いますね…。」
隼人は直哉の後ろにいた私には気付いていなかったのかもしれない。
私の顔を見て、さあっと顔色が変わった。
子犬たちや祥太郎先生を罵倒できても、私に喧嘩を売るのはマズイとでも思っているのだろう。
しかし、隼人は急に止まらない。
「だ…、だって…っ、天音さんだってそんな髪伸ばして!
男らしくない! まるで女じゃんか!
ぜっ、絶対、オカマに見える!」
隼人は少し目を潤ませながらも口走る。
私は直哉を押しのけて進み出た。
「この髪が長いから男らしくないのですか? こんな髪一つで私の人間性まで否定する?
よろしい。私の男らしさを見せてあげようじゃありませんか。」
私はさらに進む。隼人は思わず斜めにあとずさって、窓際に追い詰められた。
瑞樹の前にスクラップブックが広げられている。私はその作業途中の道具の中からカッターを拾い上げた。
ゆっくりと歯を出す。チキチキチキと音が響いて、隼人はますます壁際に引っ付いた。
「天音! いくらなんでも刃傷沙汰は…!」
なんだ、雪紀のやつ、いたのか。面倒だからおとなしく見てたな。
私は冷たく一瞥する。雪紀も慌てて口を噤んだ。
「ぼ、暴力反対…。」
「どの口でそんなことを言います? あなたの図体で祥太郎先生や子犬たちを頭ごなしに怒鳴りつければ、それだけで立派に暴力でしょう?」
長く歯を伸ばしたカッターをゆっくり上げる。隼人の顔色がすうっと白くなる。
隼人の襟首を掴めるくらいまで傍によって、私は左手を上げた。
ブツリ。
「ひっ!」
隼人がぎゅっと目をつぶった。私はその顔の上に左手を差し伸べた。
ゆっくり小指から握りこぶしを開いていく。
ざらりと顔に何かかかる感触を感じたのか、隼人が恐る恐る目を上げた。
「さあ、これがあなたの言う、女々しさの象徴ですよ。」
もう一房。私は肩にかかるようになっていた髪を掴んで、カッターで切り落とした。
あまり切れ味のよくないカッターは、ブツリブツリと不器用そうな音を立てる。
「ひっ、ひょええええぇぇぇぇぇ…。」
背後から間抜けな声がする。
今ごろやってきた慎吾が、私の断髪式に情けない悲鳴を上げているのだ。
「ああああ、あまあま、天音の緑の黒髪が〜〜〜〜〜〜!!!」
「うるさいですよ、慎吾。」
そう、髪などいくらでも伸びる。
私は私を辱めるものなど、許してはおかれないのだ。
「ああっ、隼人っ! やっぱり皆さんにご迷惑をおかけして!」
突然声が響いた。私はゆっくりと振りかえった。
入り口に、騒ぎの張本人とも言うべき白雪君が立っている。
隼人は私の髪の毛まみれになりながら、救いの神が現れたかのようにひとみを潤ませた。
「隼人っ、早くこっちに来て! 皆さんにご迷惑をお詫びして!」
「なっ、なんだよ。だいたい俺は、おまえがなあっ…!」
隼人は少しほっとしたらしい。壁にへばりつくようにして私の脇をすり抜けると、転がるように白雪君の傍に行った。
「俺はおまえの敵を打ってやろうとしたんだよ!」
「そんなの、俺、一言も頼んでないよ! そんなことでこんな騒ぎを起こして!」
「そ、そんなことって…。」
思わず絶句の隼人。いいぞ、白雪君。
「なっ、なんだよ! おまえなんか庇ってやるんじゃなかった!
この! 全ケツ野郎! みんなにケツ見られて泣きそうだったくせに!
やーいやーい、白雪のケツには黒子が三つ!」
あの状態でよく見てるな…。
隼人は白雪君の方に尻を向けると、それをぺんぺん叩いた。私ははっとした。
隼人の純白の制服の尻だけが…埃に染まって黒ずんでいる。
………慎吾と一緒だ。
なんてことだ。どこでもべったり座ってしまう白鳳産のサルは、尻が赤ならぬ黒らしい。
「うっ、うるさいっ! あっ、隼人待てっ!
あっ、皆さんほんと、お騒がせしました。じゃあ!」
なんだったんだ…今の嵐は。
私はすっかり不揃いになってしまった髪を触って呆然とした。
「天音、その髪…。」
直哉がおずおず話し掛けて来る。
「いいんです。今日あたり切ろうと思っていたんですから。」
そう、私はどんなことでも早まったりしない。
「それにしても…先生、止めてくださいよ。刃物は不味いですよ…。」
雪紀が珍しく情けない声を出している。私は小さく舌を出した。
「えー、大丈夫だよう、あのカッター、全然切れ味悪いもん。
それに、あんなに歯を出しちゃったら、肉なんて切れっこないもんねえ。」
相変わらずのんきだな、祥太郎先生は…。
「それに僕、天音君のことも、みんなのことも信頼してるもん。間違いなんかありっこないよ。ね。」
うん。…それはちょっと嬉しいかもしれない。
ようやく隼人台風は去ってくれたようだ。私は胸をなでおろした。
「そんなん…俺は納得せぇへんで! 天音の髪の毛! 俺の指に絡めるのにいい長さになったのに!」
後はこの…もう一人の筋肉オサルをどうにかするだけか…。