| 2004年 7月 2日(金) |
わざあり!
なにか視線を感じる。
いや、私の一挙手一投足が注目されてしまうのはいつものことだ。だが、なにか不穏な空気を感じる。
今も背後でひそひそと囁き躱す声がする。私は耳をそばだてた。
「ああっ、天音様いつも麗しい。黒皮だ! 天音様には黒い皮が一番お似合いになる!」
「マスクと鞭も…。今からそのお姿を想像するだけで…おお、震えが走るようだ!」
「むっ、鞭…! ああ、叩かれてみたい…!」
一体何の話をしている?
私が振り向くと、後ろでわだかまっていた集団がさっと崩れた。蜘蛛の子を散らすように去っていく。
一体なんだ???
さすがに試験前ともなると図書室も満席で、仕方なく私は慎吾を引きずって生徒会室へ行った。
すると、何やら中でわいわい騒いでいる。覗いてみると、直哉と隼人と白雪君だ。
直哉と白雪君に挟まれた隼人が、両手で耳を塞いでワーワー言っている。まるで餓鬼大将だ。さては、まだ祥太郎先生の試験のボイコットを止めるよう、説得できていないのだな。
「何を騒いでいるんです。」
声を掛けると三人がいっせいに振り向く。端っこの方で参考書を広げた咲良と瑞樹が迷惑そうな顔をしているのが目に付いた。
とりあえず今にも逃げ出しそうな慎吾を子犬たちの方へ押し付けて、私は果敢にも3人の言い争いに首を突っ込んでみた。
「まだ説得できないんですか?」
「天音からもなんとか言ってやってくれ。この馬鹿、受けないの一点張りなんだ。」
「そんなことをしたって自分が損をするばかりじゃありませんか。」
「損だっていい! 俺はあいつのテストなんか受けたくないんだ!」
おや、珍しい、極度のブラコンの隼人が直哉の言うことを素直に受け入れないとは。
「そんなことばっかり言って…。俺はおまえのことライバルだと思ってたのに、俺と勝負もしてくれないのか!」
「だーかーら! 他の教科でならいくらでも戦ってやるって言ってるだろ!」
「君がこだわる2位だって、一つ教科が抜けたら取れっこないじゃないか。」
「他の科目全部満点取る! 今回俺はそのつもりで勉強してるんだ!」
そんな根性があるなら、もう少し別方面に生かせばいいのに…。
やれやれ、可愛い白雪君の泣き落としでも無理か。
「好きにさせればいいでしょう。隼人のテストなんですから。」
「そんな…、天音さん、そんな突き放すようなこと…。」
「だって本人がやらないって言っているのを、無理やり他人がどうこうできるわけありませんよ。」
面倒くさくなってそう言うと、白雪君は体をのけぞるようにして後ろを見ている。
見ている先は…後輩の咲良にしごかれてひーひー言っている慎吾だ。
………いつも足を引っ張るんだから!
「まあ、慎吾はとにかく、そんな損得も勘定できないお馬鹿は構うだけ無駄ですよ。」
「誰が馬鹿だよ! いくら天音さんだって怒るぞ!」
お馬鹿ブラコンの癖に、私にはむかうとは上等な。
思わずむっとする私の肩を、さっきから静観していた雪紀がつついた。
「当事者どうし話し合ってもらおうぜ。」
これ以上どんな当事者が…と思ったら、雪紀が襟首を捕まえているのは祥太郎先生だった。
「なあに〜。僕今テスト期間中だから長居出来ないってば〜。」
…しかし毎度毎度テストのたびに、この先生は律儀にやつれるな…。
祥太郎先生を目の前にした隼人は一瞬ギョッとした顔をしたが、すぐさま噛みつかんばかりに歯を剥いた。
たいして祥太郎先生はきょとんとしたのち、大輪の笑顔である。
「あれ? 僕になんのよう? 隼人君。」
「おまえに用なんかないや! 俺はおまえのテストなんか受けないって決めたんだ!」
「え〜、そうなの〜?」
祥太郎先生がゆっくりと首を傾げた。
あの仕草をしたときの祥太郎先生は曲者だ。何にも考えてない表情の裏で、めまぐるしく考えが回ってるな。
「だいたい、俺はおまえの授業を受けたくてこの学校を受けたんじゃない! かってに俺の授業の担任になるなよ!」
「そんなこと言ったって、君がこの学校受けたときはもうすでに僕はこの学校にいたんだし…。」
祥太郎先生は困ったように笑った。
「君の言ってることは、ちーかま買ったらちくわの中にチーズが入ってるって言って怒ってるのとおんなじだと思うよ。最初からセットで売ってるんだから、それを承知で買っちゃった君は文句は言えないよ。」
それは正しい論理か…?
というより、ちーかまって…なに?
「そんでなんで、僕の試験受けてくれないの?」
「0点の生徒がいたら困るだろうが! 私立校の教師なんかリーマンだもんな! 成果が出ないと処分食らうだろ!」
へえ、色々考えるもんだ。
「え〜、僕、別に困らないけど…。」
祥太郎先生はけろりと言った。
「そっか〜、じゃあ、隼人君に関しては戦わずして僕の勝ち? いつも直哉君には悔しい思いさせられてるもんね。読書嫌いなくせに感想文とかうまくって。
そか、じゃあ、僕の直哉君のかたきは、隼人君が討ってくれるんだ。」
隼人が後ずさった。
さすが祥太郎先生、隼人のいやがるツボをよく心得てる…。
隼人のせいで直哉に先生が一矢報いるなんてのは、隼人には耐えがたいだろうからな。
「そんでもって、もしかして僕の初の0点生徒?」
思案気だった先生の顔がキランと微笑んだ。
「う、わー! みんな結構勉強しててくれて、0点って初めて見るんだ、僕。嬉しいなあ、記憶に染み付いちゃうね。」
そんな記憶…。嬉しいのか?
「そうかー! 隼人君が僕の初めての一角を担ってくれるんだ〜。なんでも初めてっていいよね〜。期待しちゃうなあ〜。」
「しょ、祥太郎、おまえなあ〜!」
「あっ、ついに祥太郎になっちゃったね、呼び方。」
まったく屈託なく祥太郎先生はけたけた笑う。
完全に飲まれてるぞ、隼人…。
「しょ、祥太郎なんか喜ばせてやるもんか! みてろ! 絶対最高得点とってやる!」
「あれっ、僕のテスト受けないんじゃなかったの?」
隼人ははっと息を呑んだ。簡単過ぎる…。
「0点取ってくれるんじゃなかったの〜?」
「バ、バカヤロー! 祥太郎を喜ばすことなんか絶対するか! ま、満点取ってやる〜。」
高らかに満点宣言をしながら、隼人は半分泣きそうだ。
祥太郎先生にうまいこと丸め込まれて意志をひっくり返されたことが悔しいのだろう。ついにはうわあんと声を上げて走り去っていってしまった。
…ほんとに慎吾並みの単純さだな…。
「祥太郎先生…ありがとうございます…。」
白雪君は嬉しそうにほほを染めると、慌てて隼人の後を追っかけていった。
その後姿を見送って、祥太郎先生はへなへなと座り込んだ。
「お見事です、先生。」
「も〜。兄弟そろって僕を困らせないでよね…。」
ん? 兄弟そろって?
直哉は一体どんな風に祥太郎先生を困らせたと言うのだ?
これは一つ今度じっくり聞いて見ないといけないな。
「しかし天音、危なかったな。隼人が追試だと、試験後のプロ…、球技大会に支障が出るところだったぞ。」
言われてみればその通りだ。
しかし、なぜそんなことでこの面倒くさがりの雪紀がわざわざ祥太郎先生を引っ張ってきてまで私に協力してくれたのだろうか?
やっぱり…なにかある?