2004年 7月 27日(火)

ガマン大会

扉が開かれた途端、むわっとした熱気がまるで重量を持つかのようにのしかかってきた。
「ぬおっ!」
「だあっ、あっちいあっちいあっちい!」
思わず男らしい悲鳴を上げてしまう私の背後で隼人が叫んでいる。
そこは厨房なのだろう。ステンレスの流し台が目立つ室内に、こたつがいくつか設えられている。部屋の四隅には電熱ヒーターが置かれ、あろう事かレンジにはシュンシュンと蒸気を吹き上げる大きなやかんが掛けられている。
室内はさながら熱帯雨林…いや、サウナを通り越して蒸し釜の中のようだ。

「慎吾! なんですかこのあ………ムグムグ。」
あまりの暑さに叫びかけた私の口を、慎吾の大きな手が塞いだ。
「暑い言うたらあかん。言うたらあかんで〜。ここでは一言暑い言うたび、ペナルティーが科せられるんや。」
言いながら、慎吾はにやりと笑う。その視線の先で、放心したような顔の隼人が、貼り付け式の使い捨てカイロを3つも背中に張られている。さては暑いと言った数だけカイロが貼られるしくみか。
「そんなことを言ったら、あなただって今2回も言ったじゃありませんか!」
「のおおお〜! しまった! こんな罠が待ち受けているとは!」
…楽しんでいる。完全に楽しんでいる。こんな状態で何がそんなに楽しいんだ!

ただ立っているだけで、全身ズクズクと汗をかいていく。部屋に入った人いきれで、更に温度が上がったようだ。私は泣き崩れるふりをしてくっついてくる慎吾に肘鉄を食らわせた。
「寄らないで下さい、暑苦しい! だいたいなんで私が…。」
「おおっ、天音様が禁句をおっしゃった!」
「おっしゃったぞ! 確かに聞いた!」
しまった…! ついうっかり…!
「ああ、天音様、おいたわしい…。」
カイロを持った寮生が擦り寄ってくる。
いたわしいならそんな物貼るな! 馬鹿者!

こたつももちろん最高温度に設定されている。私の両脇には慎吾と隼人が座った。他のこたつもそれぞれ満席になる。
しかし、全員がこの部屋に居るわけではないようだ。見回すと、隣の部屋は食堂だろう。壁が一部ガラス窓になっていて、そこから参加しなかった寮生が鈴なりにこちらを見ている。
そこに白雪君を見つけて、わたしはほんの少し安心した。あの線の細い白雪君をこんな野蛮なお遊びに突き合わせるわけには行かない。…わたしとてそうなのだが。

「うう〜、涼しい…、涼しいぜ…。」
隼人がうわごとのように言う。いつも意志表示のようにツンツンに立てている短髪が、汗でへにゃりと崩れていて、なんだか可愛らしいようだ。
「ふふふ…、俺かて涼しいわ…。最後まで居残った寒がりさんにはいい賞品が用意してあるしな。そう簡単には負けへんで。」
「こんな…、一酸化炭素中毒になったらどうします。」
私は慎吾を睨みつけた。こんな近い距離なのに陽炎が立っているようだ。
「それなら大丈夫や。見てみ。ちゃんと換気扇回ってるし。」
慎吾が指差す方には、なるほど小さな換気扇が空しく回っている。

「それにしたって…、客人の私たちにお茶の一つも出さないなんて…。」
「ああっ、言うたらあかん!」
「天音さまがお茶を所望された! お茶の時間だ!」
隣の部屋とはスピーカーかなにか繋がっているのだろうか。急に騒がしくなったかとおもうとどやどやと人が入ってきた。手に盆を持っている。
嫌な予感がする。
案の定その中は味も風味もないチンチンに沸騰したお茶。しかも冷めにくいように肉厚の茶碗に入れて、ご丁寧にとろみまでついている。私はとろみのついたお茶など、生まれて初めて飲んだ。
「………まずい…。」
ますますのどが乾く。

「一体なんなんですか…なんで私が…。」
「参加するゆうたの天音やで。今更文句いいな。」
「お、俺ぁ負けねえぞ。こんな筋肉蝶々なんかに負けるもんか。」
「ふん! この3年寮生活で鍛えたど根性見せたるわ。」
「俺だって! 真夏の剣道部の暑さと臭さを知らねえな!」
言い終わると同時に、隼人の頭にカイロが一枚追加された。これで4枚目。
うっかりお喋りもできやしない。隼人の顔は限界まで赤くなっている。

「さあ、みなさん! お楽しみのお食事の時間です!」
私はあたりを見まわした。すでに死屍累々と言った様子だ。すっかり伸びてしまって、ずるずる引っ張り出されている寮生もいる。
この時点でお食事というのは…当然涼やかな素麺のわけはないな…。
最後の絞込みには言ったらしい。私たちの目の前に置かれたのはあっつあつの鍋焼きうどんだ。

「寒い〜…、寒いぞ〜…。」
隼人がゼイゼイ言いながらうどんを啜っている。半分を食べたところで私たち以外の物がすべて脱落し、私たちには手袋とマフラーがさし入れられた。
私たちはまるで団子のようになりながらうどんを啜っているのだ。
私は放心しながらうどんを啜った。食欲なんかまるでない。顔中を汗が伝い落ちて、顎の下に小さな水溜りを作っている。隼人や慎吾はもっと酷い。
「寒くて寒くて…俺なんか替え玉お願いしちゃうぞ…。」
「むっ、1年の癖に生意気な奴…。ほんなら俺は、鍋ごと交換や…。」
さすがの二人も声にハリがなくなってきている。コタツ布団さえ汗で湿ってしまうようなこの状態で、なにをどう頑張れと言うのだ。
…そもそも私はなにをこんなに意地になっているのだろう。成り行きで参加したとはいえ、どうして私が最後まで残らなくてはならないのだろうか。
……ああそうか、1位には賞品が贈られるのだったか。しかし、信吾たちの用意する賞品なんて、大した物じゃないだろう。
………一体1位の賞品ってなんだ?

「慎吾…、ちょっと聞きたいのですが…。」
「なんやの、天音…、手短にな…。」
「1位の賞品ってなんですか?」
「そら決まってるがな。」

慎吾はうどんを汁まで飲み干し、いっそうだれた顔をした。

「風呂掃除当番3ヶ月免除や。」

「へー、お風呂掃除……………。」
私は咥えていたうどんをちゅるんと啜った。
もぐもぐと租借し、丁寧に箸を置く。まだ鍋には4分の1ほどのうどんが残っている。

「ばからしいっっっっっ!!!」

私は勢いよく立ちあがった。立ちあがったとたんに脳貧血を起こしたようにぐるりと視界が回る。
弾みでコタツの板がひっくり返りそうになり、隼人と慎吾が慌てて押さえつけた。
「そんな賞品!!! よしんば優勝したところで私にはなんにも関係ないっ!」
「ああっ、天音のいけずっ! 俺に譲ってくれたらええんやないの!」
「風呂掃除でも便所掃除でも、死ぬほどしなさい! こんなことに私を捲き込むなっ!」
「お、俺は…白雪の為にやるぞ…!」
「あなたはそうしたらいいでしょう!」

私はマフラーと手袋とどてらを毟り取って慎吾の頭にみんな叩きつけた。
家から着てきた服がぐっしょり汗で湿っている。慎吾に見せたいお気に入りの服だったのに!
大またで外に出る。部屋の外に出るだけで、違う世界に行ったように爽やかな空気で、私はおもわず名画「ビーナスの誕生」のように立ちすくんでしまう。
「逃げるんか、天音の卑怯もん〜。」
慎吾の情けない声が聞こえてきた。いつまでも一人でやってなさい。

「天音センパイ、ご苦労様でした。」
白雪君が冷たいお絞りと山盛りのかき氷を持ってきてくれた。
「なんだか隼人の意地っ張りに付き合わせちゃったみたいで…ごめんなさい。」
「いいんですよ。私もうかつでしたから。」
白雪君が本当にすまなさそうに肩を竦めるので、私の怒りも半減する。隼人だって被害者である。お馬鹿は慎吾一人だ。

こうして私は適当なところで脱落して観戦に回ったが、呆れることにそれから隼人と慎吾の二人は1時間以上粘っていた。
あまりに危険なので、二人とも熱中症になることを懸念して、私が止めさせたのだ。
だが二人はそのまま水風呂に場所を移していがみ合っていたようだ。まったく二人とも子供なんだから。

それにしてもこの馬鹿騒ぎはまだ続くのか?