2004年 8月 14日(土)

久しぶりの夜

やかましく油蝉が鳴いている。もう夏も終盤に差し掛かったということだろう。
私は慎吾を呼び出していた。今日は花火大会が催されるのだという。町中を着慣れない浴衣に戸惑うような表情のお嬢さんがたが歩いていて、ほほえましい。
私も浴衣を着てくればよかった。ここ数日の慌しさに、絞めつけられていたような心が、やっと少し余裕を持ち始めたようだ。
「天音!」
掛け値なし、嬉しそうな声に呼ばれて、私は顔を上げた。
慎吾が走ってきていた。

「ああ、天音、出てこられるようになったんやな。お家の方は大丈夫なんか? おまえの体調は? ちゃんと飯食えるようになったか?」
顔を見るなり、矢継ぎ早の心配で、少しくすぐったい。
「大丈夫です。なんとか終わりました。あなたにも心配かけましたね。」
「いや、俺のことはどないでもええねん。それより天音、なんだか痩せてもうて…。」
会わなかったと言っても僅か数日のことなのに。
ほっぺたに大きな手を押し当てられると、なにか気恥ずかしくてつい俯いてしまう。

「今日はあなたにも、事の顛末を報告しなくてはと思って…。」
「ええねん。そんな急いでなんもかも教えてくれなくても。天音の判断することに間違いのあるはずあらへんもん。」
「でも、あなただって、気にはなるでしょう?」
「まあ、気にならない言うたらそれは嘘になるけどな、どんな結末だって、天音がもう1回俺の前に笑顔で居てくれたら、それが俺には満点の答えやねん。」
どうして慎吾は、そんなに恥ずかしい言葉を次から次へと繰り出せるのだろう。
私は頬が火照りっぱなしだ。

「あなたには申し訳ないけど、将来私は、野乃香と結婚することになると思います。」
「…そっか。」
「…少しは妬いてくれないんですか?」
「そんなこと言いないな、天音。ほんと言うたら、もう俺嫉妬で泣き出しそうやで。
でもな、俺がお父さんに言うたことは本気なんや。俺の幸せは、おまえの笑顔が大前提や。
おまえが誰と結婚しようが、おまえが幸せそうでいてくれさえすれば、俺はなんにも望まないんや。」

大きな腕が回ってきてぎゅっと抱きすくめられる。
プールにでも入った後なのだろうか。少し塩素のにおいの残る体。
まだ人目もあるのに…こんなふうに慎吾が開けっぴろげだから、おばあさまや母や、野乃香にまで私たちのことが筒抜けになってしまうのだ。
でも、私も今日は慎吾の腕を振り払えない。慎吾の暖かさを貪るように受けとめてしまう。

「それに俺はな、天音が結婚してお家を継ぐことは大賛成なんや。
あんなに古く続いた大きなお家を絶えさせてしまうのはもったいないで。
俺んちは、兄貴がちゃんと継いでくれると思うけど、俺んちなんかと比べようもないもんな、天音んちは。
それにな、赤ちゃんできたら俺にもちょっとは見せてぇな。天音の子なら、絶対世界一可愛いで。」

いかにも子供好きの慎吾の言いそうなことだ。
私はちょっと苦笑する。
野乃香がひそかに画策していると言う、慎吾と皐月ちゃんとをくっつける作戦は、…まだ封印していた方がよさそうだ。

遠くの空で花火が上がった。送れて音が来る。
藍色の空に、大輪の花が咲く。

「ああ、花火や。きれいやな。」
「慎吾、私の話は、まだ…。」
「分かってる。ゆっくり聞いたる。
でもここはちぃと、人目が多すぎるな。
天音…今晩帰らなくてもええんやろ?」
甘ったれた声が終わらないうちから、唇が私の頬やまぶたに、小さい口付けを降らせてゆく。
私は頷いて、火照った頬を慎吾の胸に押し付けた。久しぶりの逢瀬に、私もすでに熱くなっているのだ。

夜はまだこれからだ。