| 2004年 8月 15日(日) |
背中のマーク
大勢の人が盛んに叫んでいる声がする。私はゆっくり目を開けた。
硬い手触りのシーツに、ここはどこだろうと眉を顰めて、すぐに思い出す。ベイエリアのホテルのスイートだ。
得に狙ったわけではないが、急な外泊で、そこしか空きがなかったのだ。
花火大会の夜は、町じゅうに恋人たちを溢れさせ、廉価な部屋はどこも満室だった。
仕方なく、少し痛む懐に目を瞑ってスイートをチャージしてみれば、真正面に大輪の花火が咲く、最上の部屋だった。
私たちは窓から入る花火の点滅だけを明かりに、思いきり愛し合ったのだった。
「ん…。」
外はどんよりと曇っている。雨が降った後らしい。
しばらくぶりの程よい気温は、疲れた私の睡眠を妨げることなくゆっくりと眠らせてくれたようだ。
「目ぇ覚めたかいな、お姫さま。」
全身のだるさにゆっくりとシーツに皺を寄せる私の頭を抱えて、慎吾がいくつもキスを落とす。
「モーニングまだやっとるで。ルームサービスしようか。」
「ん…、そうですね。」
足腰ががくがく言ってまだ立ち上がれない。
内線をおろした慎吾は、また近づいてきてベッドに上がった。
ようやく体を上げてベッドヘッドに寄りかかるようにしていた私に擦り寄るように座ってくる。
ふと見上げた広い胸板に、夕べ私が夢中でつけたキスマークや歯型までついていて、思わず恥ずかしさに目を逸らしてしまう。
きっと私の全身にも同じように花びらがちりばめられているのに違いない。
夕べは、自分でもはっきりそうとわかるほど、乱れて泣かされてしまった。
この数日の間に起こった出来事が、私に慎吾が欠けてはならないことを思い知らせてくれたのだ。
ほんの数日だったが、肌の合わされない日が私を飢えさせ、自ら慎吾が欲しくて貪ってしまった。
慎吾も同じ思いだったのかもしれない。いつもより強引で、激しくて、…そのくせどこか優しくて。
私にねじ込まれる大きさや、中を突き崩す激しさまでが、まだ足の間にリアルな感覚で残っている。
慎吾にとっての私の感覚はどうだったのだろう。私は顔をふせたまま、ちらりと慎吾を見上げた。
面映くて、真正面から見つめられない。
不意に慎吾が私の指の間に指を絡ませてきた。錠と鍵のように、掌同士がしっかり組み合わされる。
慎吾はまっすぐ正面を見詰めている。喧騒はまだ続いていて、私はやっとテレビが小さな音で付けられているのを知った。
「オリンピックが始まったんやで。」
オリンピック…。もうそんな時期か。
自分のことで手一杯で、すっかりそんなこと忘れていた。
「今年も北島はいいらしい。でもな、俺も本気だすねん。おじさんとの約束もあるしな。」
慎吾はぎゅっと掌に力をこめた。
「この次のオリンピックは、見に来てくれや。表彰代に上がって日の丸かけさすんは、俺やで。」
画面をにらみつける鋭いまなざしが、なにより慎吾の決意を語っている。
慎吾のこんな面も、私を捕らえて放さないところだ。
私のことさえ素通りする、わき目も振らないストイックな瞳が、焦れるほどに私を恋焦がれさせる。
チャイムが鳴る。ルームサービスが来たらしい。
慎吾は身軽に立ちあがると、その辺のバスローブを引っ掛けて出ていった。
何気なくその背中を見ていた私は、思わず目を擦った。
なんだか…見てはいけない物を見た気がする。
「天音〜、来たで。天音はトマトジュースよりオレンジジュースがええやんな。」
「慎吾…ちょっと。」
頭痛に襲われながらも、私は慎吾を手招く。慎吾は訝しげな顔で寄って来た。
「背中…見せてください。」
「背中? あっ、気がついた? ええやろ、これ!」
慎吾は偉そうに振り向くと、ひらりとバスローブを脱ぎ捨てた。
やっぱり…。見間違いじゃなかったようだ。
「なんですか…その背中は…。」
「なんですかて、ええやろ。型抜き日焼けやで!」
慎吾の小麦色の広い背中いっぱいに、アルファベットのI、ハートマーク、天音の文字が白く浮いている。
「あいらぶ天音て読むんやで!」
そんなのは説明されんでもわかる…。
「どうしてそんな物を…。」
慎吾の水泳は裸が制服みたいな物だ。そんな派手な日焼けを背負ったら、どこに行っても公然とラブレターを披露しているような物ではないか。
「ええやろ。後輩にやらせて、ビニールテープ張って作ってん。みんな喜んで手伝うてくれたで。」
………なんという恥ずかしいことを…。
「だって水着じゃどっかに天音のお守りを隠しもっとる訳にいかんやないの。これでどこでも天音と一緒やで。」
確かに、競泳用のビキニの股間に私の写真を入れられるのもぞっとしないが。
「それに俺、天音との事は俺の誇りやから、隠すつもりこれっぽっちもないねん。みんなに知ってもらいたいんや。俺の恋人は天音です〜てな。」
なんと言うか、思いきったことを…。
それでもなんだかちょっとばかり嬉しいのは、私もかなり甘いということだろうか。
「それにしてもそれはちょっと…。競技会とかもあるんでしょう。なんとか消しなさい。」
「もう無理。これからはいくら焼きたしても、 この白い部分だけ余分に焼くことできへんもん。冬になって日焼けが覚めるまでこのまんまや。」
ええやん、天音。一緒に競技会行こうで!」
屈託ない笑顔に負けてしまうのはどうしてだろう。今日の私はどうしようもないくらい慎吾にでれでれだ。
仕方ない。惚れた弱みだ。かなり恥ずかしいが、これも慎吾の愛の証としっかりうけとめることにしよう。
私は無邪気な恋人の首に腕を回して、熱いキスを交わした。