2004年 8月 2日(月)

涼しい夜の為に

夕食はポリバケツのような巨大な寸胴なべになみなみ2杯のカレーを平らげて(!)、最後のお楽しみが始まった。
昨夜の飲み会を行った部屋にまた全員が集合する。
「さあ! 白鳳寮恒例怖い話大会や!」
…怖い話大会…、馬鹿っぽい。スマートに怪談大会と言えばいいのに…。
だいたい私はこういう催しが好きではない。
怖いのではない。こういう雰囲気に身を置いていると、有象無象が寄ってくるのが見えて鬱陶しいのだ。

そもそも我が家は旧家である。幼い頃から私の身の回りには、そういった不可思議が満ち溢れていた。
座敷の隅にいつも座ってニコニコしている老婆。時々廊下を横切る白いかげ。何代か前まで使っていたという井戸の周りで遊ぶ、着物を着た子供。
それらのものは怖いものではなかった。おばあさまにもそれらは感じられるようで、見えはしても触れられない彼らのことを、むやみに怖がらなくてもいいものだと教えて下さったのはおばあさまだ。
父の建立したお稽古用の演舞場は真新しくてそれらは居なかったし、だから子供の私にはそれらが悪意を持っていることがあるなど知らなかったのだ。
私が初めてそれらを怖いと感じたのは、父の仕事で古い舞台に付いていった時だ。
我が家では見たことの無い恐ろしい顔をしたものが暗がりにたくさん蠢いていて、私が見えるのを知ると、先を競うように襲い掛かって来た。
私はそのとき始めて、おばあさまの言葉を理解した。ここに居るこれらは怖くないけれども、あんまりじっと見てはいけないと。
私はおばあさまに教わった九字を必死に切り、そうして命からがら逃げ帰ってきた。当時の私は、それらを跳ね返すすべを知らなかったのだ。
だから私は、いまだに怪談話は好きでない。

ろうそくを灯した部屋は、必要以上にクーラーを効かせてあって肌寒い。慎吾は何やら楽しそうに、車座になったみんなを見渡した。
「さあ、怖い話大会や! 一番手、誰ぞおるかいな!」
すると1年生が一人手を挙げた。眼鏡を掛けた、いかにもオタク然とした少年だ。
慎吾は彼を指名した。

「……そして運転手が振り返ると、その女は影も形も見えなくて、シートがぐっしょりと濡れていたそうです。」
少年は静かに話しを終えた。よくある怪談だったが、話し方がうまいのだろう。なんとなく肌寒さが増している。…いや、この雰囲気にそろそろそれらが寄ってきているのだ。あの、車座の一番後ろで俯いている彼は…背中半分が扉にめり込んでいる。
「なんだか…あっちの方が白っぽく見えるんですけど…。」
白雪君がそっと私に耳打ちする。私がそっちを見ているのが気になったのだろう。意外にも、隼人も寒そうに肌を泡立てている。それも、扉の方を向いた腕だけきっちりとだ。意外と繊細なのかな、彼は…?
「あんまり見ない方がいいですよ。あそこに一人淋しがって寄ってきているようですから。」
「えっ、本当にっ? やだ…。」
白雪君は寒そうに腕を擦った。

「んー、怖い話やったな。けど、これは俺らの怖い話とちょい趣旨がちゃうねん。おいそこ、2年、見本みしたり。」
慎吾に指名された2年生は、では…と、おもむろに膝を進める。

「先日、俺を可愛がってくれたじいさんが亡くなりまして…、形見に櫛をもらったんです。死んだじいさんが毎朝使ってたやつです。」
どう聞いても同じ傾向の話だが…。私は扉の方を気にしながら耳を傾けた。
「俺はじいさんの供養のつもりで、その櫛を使い始めました。すると…、俺の身に恐ろしいことが起こり始めたのです…。」
ごくりとつばを飲み込んだ白雪君が、隼人でなく私に擦り寄ってくる。役得だなと思いながら、私は白雪君の肩を抱いてやった。
「毎朝、櫛を使う時に、鏡を見るでしょう? その鏡の中の自分が、どんどんじいさんに似てくるんです。背後が何か、違う雰囲気で…。気のせいだと思いながら、俺は櫛を使い続けました。そしてある日気が付いたのです! 俺の背後に…!」
彼は言葉を切って、辺りを見回す。白雪君が冷たい手で私の腕をぎゅっと握った。

「…おびただしい抜け毛が…!」

はあ? 抜け毛? 私は唖然とした。私の腕に縋りついていた白雪君の力がすいっと抜けてしまって、なんとももったいない感じだ。
「じいさんののろいは、隔世遺伝となって俺の身に降りかかってきました。今でも尚そののろいは続行中です。このままでは俺は30代になる頃には立派なパゲになっていることでしょう…。」
そう言って、彼は確かに少し薄くなり始めている髪を撫でた。
「こえーっ!」
「やべーっ!」
げらげらと笑いながら、2,3年生たちが拍手をする。1年生はきょとんとしている。
…まあ確かにある意味怖い話ではあるが…。
ふと見ると、扉の傍に俯いていた彼が、いつのまにか見えなくなっている。
…おそるべし、お馬鹿パワー…。

「うんうん、やっぱうちの怖い話大会はこうでなくっちゃいかんねんな。」
慎吾は満足そうに肯くと、さて、と居住まいを正した。

「では、次は俺の怖い話いくで。」
慎吾の怖い話…。何か嫌な予感がするな…。