2004年 8月 25日(水)

夜の海

 晩御飯は、思った以上に豪華だった。予想した通り、あの大きな寿司桶には「これでもか」と言うほどの酢飯が盛られ、テーブルの上には山ほどの海産物が並んだ。
食堂があるのか、と思いきや・・・ばあさまは私達の部屋に食事を運んだ。
 もっとも慎吾やら雪紀がこぞって働いたので、ばあさまはそんなに力仕事はしていないが。

 「うっわー!なにこれっ!!!」
 「ゆ・・・雪紀さん、雪紀さんっ!えびが、動いてるよーっ!」

 テーブルの上に並べられた、魚介類に咲良と瑞樹が歓声を上げる。

 「おう、咲良。ちょい・・・こっち来てみぃ」
 「えーっ?・・・慎吾さん、何企んでいるの?」

 ぴくぴくと跳ねているエビに真剣に驚いている咲良に慎吾が声をかける。しかし顔中に広がっている人の悪い笑みに気が付いているのか、かなり警戒している様子が笑える。
 どうしたらいいの?と言った様子で咲良は背後の雪紀を伺うが、その雪紀に「大丈夫だ」と顎をしゃくられては仕方ない。
 しかし私は気が付いていた。雪紀の目が、微かに笑っていた事に。

 「ほれ、咲良っ!」
 おもむろに皿の上で動いていたエビを慎吾はわし掴みにして、咲良の顔の辺りにもって行く。
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぎゃぁ〜」
 「なっ、おもろいやろ!イセエビって、きちきち鳴くねん!」

 エビを持ったまま喜色満面の慎吾と対照的に、咲良の顔は青ざめている。
 そこをすかさず、雪紀が慰めに入る。・・・・・成る程、雪紀の考えそうな事だ。

 「さ、次は瑞樹か〜?白雪か・・・。あ、天音でもええで〜!ほら、聞かしたるわ、エビの鳴き声!」

 まるで大きな子供だ。いくら新鮮な魚介類でもそんな温かい手で掴み回してしたら、弱ってしまうのでは・・・・・?
 エビは相変わらず慎吾の大きな手に掴れて、足を上下に動かしている。

 「ほ〜ら、ほら!こらっ白雪!何で逃げんのや!あっ、瑞樹もっ!!!」

 大人しい白雪までが、血相を変えて逃げ回っている。咲良は・・・・・しっかり、雪紀の背後に隠れている。

 「慎吾!いい加減に・・・」
 なさい、と言おうとしたその瞬間。ゴツンという鈍い音が、部屋中に響いた。そして飛来したものが、ごとん、と私の足元に落ちる。
 ・・・・・鍋敷き?それも、木で出来た?こんなものが当たったら、相当痛いのでは・・・・・。

 「あだっ!何すんねや!」
 何かに後頭部を直撃された慎吾は涙目になりながら、空いている方の手でしきりに頭をさすっている。

 「ホンマに、あんたは何しとんのや!まったく図体ばかりでっかくなりよって、頭の中はからっきしやな!誰が食べ物で遊べ、言うた?!」
 「げっ・・・ばぁちゃん」
 「げっ、とはなんや!」

 開け放たれた襖の側で、ばあさまが仁王立ちになっている。その足元には湯気の上がった大鍋が置かれている。
 おそらく飛んできた鍋敷きは、その鍋を置くのに使う予定だったのだろう。

 「ええ加減にせないかんで?!あんたらの口に入るもんは、皆、海の神さんや、山の神さんが寄越してくれたもんや。この辺りではどんな小さいこでも、あんたみたいな罰当たりな真似する悪たれはおらん!」
 鍋からも湯気が上がっているが、ばぁさまからも湯気が上がっていそうな勢いだ。

 「・・・・・ばぁちゃん、堪忍な〜」
 悪かったわ、と慎吾が素直に頭を下げる。
 「・・・・・わかれば、よろし。二度とこないな真似したら、あかんで?!」
 きっちりと脅し?をかけて、ばあさまは「よっこいせ」と大きな鍋を持ち上げる。
 私は慌てて足元の鍋敷きを持つと、テーブルの上に置いた。

 「なんや、ボン。気がきくなぁ」
 私のとっさの判断はばあさまのお気に召したらしい。珍しく、お褒めの言葉を頂いて私は何となく嬉しくなる。

 「さぁ、たくさん食べ。ばあちゃん、腕によりをかけて作ったからなぁ。・・・残したら、あかんで?特に、ボンとそこの小っこいの。あんたらはもっと食べな!」

 そう言うと、桶の中の酢飯を私と白雪の更にこれでもか!と盛り付ける。

 「さぁさぁ、なんでも好きなもん巻いて食べ?おかわりはいっくらでもあるし、遠慮せんと!」

 そう言ってばあさまは部屋を出て行った。
 私と白雪は思わず顔を見合わせて苦笑する。元来、食の細い私や白雪にとって目の前に盛られたご飯の量は余りにも多い。
 しかし、何とかして食べなければ明日の平和は保障されないだろう。
 咲良や瑞樹は無言で、食事に取りかかっている。
 日中、あれだけ海で遊んだのだからお腹も空いているだろう。きっと、これは・・・お休み3秒コースだな。

 私も腹を決めて、食事に取りかかった。新鮮な海の幸は大変美味しくて、思わず食べ過ぎてしまった。






 「ああ・・・星が、出ていますね」
 砂浜に腰を降ろした私は、空を仰いだ。都会では見たこともないほどの星が、空に輝いている。
 ざぁざぁと打ち寄せる波の音と、月明かりだけの海岸。
 なんとも言えず幻想的で、それでいて引き込まれそうな恐ろしさがある。

 ざくざくと砂を踏む音がして振り返ると、雪紀がいた。

 「なんだ、天音。今頃、海か?いくら何でもこの時間じゃ泳げないぜ」
 「・・・・・誰が、泳ぎますか」
 「お前一人なんて、珍しいな」
 ハーフパンツのポケットから取り出した煙草を咥え、火をつけながら雪紀は私の隣に腰を降ろした。
 「慎吾なら、出掛けにばあさまに捕まりましたよ」
 「何で、また」
 ふぅ、と雪紀の口から白い煙が吐き出される。
 「食事のときに大騒ぎした罰に、今日の分の食器全部、洗わされていますよ」
 「成る程」
 「雪紀こそ、一人でどうしたんです?咲良は?」
 「・・・・・お子様は、寝る時間だ」
 「そうですか」


 苦々しくそう言った雪紀に、私の目が引き寄せられる。
 いつもは、俺様で冷静で傲慢な雪紀が・・・咲良に関しては感情を顕わにするのが、何とも言えずに楽しい。
 それに、こんな風に穏やかな気持ちで雪紀と話をする事など、今まで一度もなかった事に気が付く。どちらかと言えば、雪紀は私にとって目の上の瘤に近い存在だったのに。

 色んな人と知り合って、本気の恋をして。泣いたり、悩んだりしながら私達は少しづつ変わっていたのだと、改めて知る。

 「それはそうと」
 「ん?」
 「隼人が来れなくて、白雪には可哀想な事をしましたね」
 「・・・・・そうだな」
 「まだ、連絡はないのですか?祥太郎先生もいるし、直哉もいるので大丈夫だとは思うのですが・・・」
 来れなくなったという、直哉たちの事を考える。
 どうしてか、嫌な予感がする。

 「・・・天音、そろそろ戻るぞ。風が出てきた」
 確かに。雪紀の言うとおり、海の方から吹き付ける風が強くなってきた気がする。
 先に行くぞ、と雪紀が歩き出す。私の横を通り過ぎる瞬間、雪紀が何かを言ったように思えた。

 「雪紀、今何か言いましたか?」
 前を歩く雪紀にそう聞いたが、何でもない、と片手を上げて返された。
 けれど雪紀は確かに何かを言ったのだ、私に対して。




 『嵐になるかもな』 
 
 雪紀が言った言葉。それは波と風の音にかき消され、私の耳には届かなかった。