2004年 8月 5日(木)

祭りの後

目を覚ますと、頬の擦りあうような位置に白雪君の可愛い顔が見えた。
昨夜はあれからいろいろと話をして、そのまま眠り込んでしまったものらしい。
本当に役得だ。たまにはこんな風に、色事無しの同衾も良い。
すうすうと可愛らしい寝息を立てる白雪君のおでこからキスを奪って、私はそっと寝床を抜け出した。なんだか廊下が騒がしいのだ。
着替えて部屋の外に出ると、いきなり血走った目の慎吾と隼人に鼻を突きあわせる事になった。白雪君の清らかな寝顔の後で…ええい暑苦しい!

「天音〜、飯食いに行こ〜。俺らもう腹ペコやねん。」
「あっ、白雪の奴まだガーガー寝てやがる! おいこらっ、起きろっ、白雪っ!」
隼人が私の脇を摺り抜けて部屋に踏み込むと、白雪君を足蹴にして起こしている。なんて乱暴な!
「うううう〜ん、なんだよう、隼人〜。」
眠れる白雪姫の愛らしさも、野暮天の隼人には通用しないらしい。
「朝メシ奢ってやるから起きろってんだよ!」
「朝ご飯を? 隼人がご馳走してくれるんですか?」
私がびっくりして聞くと、慎吾はクマの浮いた目元をたわませた。
「昨夜天音に振られたからな、言う通り隼人を引っ張り込んでん。朝メシ懸けて一晩中格ゲーや。100勝99敗で俺の勝ちやで! おかげで今朝は親指が痛うて痛うて。」
「くっそー! あれはぜってーコントローラーのせいだ!」
「何言うてんの。勝ちは勝ちやで。ほれほれ、ホテルのモーニング♪」
慎吾は嬉しそうに小躍りしているが、もし負けたらどうするつもりだったんだろう。いつもピイピイの慎吾には、ホテルのモーニングを4人前もご馳走する事など無理に違いない。
さては私の懐を当てにしていたな。
…これはやっぱりお仕置き続行。当分指一本触れさせてやるまい。


「あーあ、楽しかったけど、今年ももうお祭りは終わりや。」
慎吾によると、留守にしている舎監たちは今日の夕方には戻ってくるのだという。
私の目にはどう見ても規律の緩い寮生活だが、それでも監視の目があるのとないのとでは気分が違うのだろう。
「うーん、帰ったらまず掃除せな。やっぱ吸い殻ぎゅう詰めのビール缶がゴロゴロしてるんはまずいやろ。」
慎吾はお行儀悪く、フォークを咥えっぱなしで喋る。私の方を物欲しげな目で見るので、仕方なくスクランブルエッグを半分分けてやった。
「お、ありがとさん。なあ天音、掃除手伝って…。」
「遠慮します。私はもう帰ります。」
言いかけたのを途中で遮る。客人として呼ばれたのに、そこまでしてやる義理もない。
「冷たい〜。天音の俺に対する愛が感じられない〜。」
「あなたみたいに垂れ流しにするより、控えめくらいがちょうどいいんです。まったく、人目もわきまえず…。」
昨夜の慎吾の告白を思い出して、つい赤面してしまう。
慎吾はきょとんとしている。もしかすると、まったく口からペロッと出てきただけで、私が感銘を受けたほどには深い意味はなかったのかもしれないな…。
…そう思ったらまた腹が立ってきた。
「禁足を言い渡します。今日から1週間は絶対うちにこない事。電話もいけません。もし破ったら、絶交ですからね!」
「ええっ、なんやの急に! そんなご無体な〜。」
何とでも言いなさい。私は腹を立てているんです。
私の純情を茶化すような真似は絶対に許しません。

すっかりしょげてしまった慎吾から視線を逸らして、私は横に座っている白雪君を見た。
向かいに座っている隼人が何かと口を出す様子がさっきから気になってしょうがなかったのだ。
「あっ、こら白雪! ピーマンとトマト外すな! 俺が奢るんだから全部きっちり食え!」
「えー、いいじゃんこれくらい…。生野菜苦手なんだよう…。」
「うわっ、こんな細かいニンジン全部出してっ! おまえそんな事に情熱傾けてるからそんなに生っちろいんだよ! 食えって。暑いのに好き嫌いしてるとばてるんだぞ!」
「うーん…。」
白雪君は少し頬を染めて上目遣いに隼人を見上げた。
隼人の物言いはずいぶん乱暴だが、それでも白雪君を心配しての発言であることはちゃんと伝わってくる。
白雪君は思いきったようにトマトをぱくんと咥えて、盛大に顔を顰めた。
「そんなに言うけど、隼人だってコーヒー飲めないじゃないか。俺なんか大人だからコーヒーはブラックだもん。隼人のお子様とは違うんだから。」
「おまえなっ、コーヒーは嗜好品だろっ! 人間野菜は食わなきゃだめなんだ。おまえのわがままと一緒にすんなよな!」
おやおや、仲のいいこと。いがみ合いさえ楽しそうに聞こえる。
私は軽くため息をついた。なんだか当てられた気分だ。

「なあ〜、天音、本当に遊びに行ったらだめなん? 俺まだおばあさまにスイカのお礼もしてないんや。」
「本当はお花のお稽古を代わる約束をしていたんです。それをすっぽかしちゃったから、どの道1週間くらいは忙しくて構ってあげられません。」
慎吾の目を見ないまま言う。視線の端っこに、項垂れる慎吾が映る。
「秋には又競技会があるんでしょう? いい機会だから、それに向かって特訓でもすればいいじゃありませんか。私の彼は世界一のスイマーじゃなくちゃ嫌です。」
「また天音は…そんなこと気楽に言いないな。」
「とにかく…私は怒っているんです!」
「ええ〜? 俺それがさっぱりわからへん。なんでそないに怒ってるのや〜? あの話に天音の名前は一個も出さへんかったで〜。」
この無邪気さが慎吾の一番の魅力であり、同時に私を時々酷く戸惑わせる原因だと言うことに、いい加減気付いて欲しい。
私は席を立った。隼人と白雪君はまだなんだか夢中でじゃれ会っているし、慎吾は鈍感だし。私には自分自身クールダウンする時間が必要だ。
「1週間したら電話を下さい。そのときのあなたの態度によって、今後を決めましょう。」
「ええっ! 今後ってなんやの! 天音!」
慌てて立ちあがる慎吾を腕の一振りで押しとどめて、私はその場を後にした。
このイライラする気分は、もしかすると慎吾のせいだけではなくて、白雪君が隼人に見せる笑顔があまりにも素直だからかもしれない。


なんとなくモヤモヤした気分で歩き、自宅の土塀の角を曲がるころには、それは最高潮のいらつきになっていた。
なにがこんなに私を苛立たせるのか分からないまま帰った我が家には、さらに頭痛を引き起こすようなことが待っていた。