2004年 9月 23日(木)

競技会

秋分の日で休日。らしからぬ曇天でときおり薄日が差している。
今日は本来なら、一家揃って先祖代々のお墓参りをする日でもある。
しかし、今日ばかりはパス。おばあさまと母の力作のおはぎだけはしっかりと頂いて、私はいそいそと制服を着込んだ。
今日は我が白鳳学園の屋内プールで、都の大会が行われるのだ。

慎吾にとってこの大会は、目標の一つでもあった。
なにしろ、あの一件で、私の家族の前で大見得を切ってから初めての大きな大会なのだ。
あの慎吾が…禁欲にまで励んでそれはもうストイックに鍛錬を重ねている。
慎吾の意気込みが、そのまま私への想いに感じられて、応援せずにはいられない。


白鳳は、スポーツ施設も多々揃っている。
巨大なグラウンドや、体育館は、初等部や大学も含めた学園全体の施設だ。
大きな屋内プールもその一つで、そのまま競技会も開けるように、周りを観覧席が取巻いている。
今日は他校からの応援も多く、大会用に設けられた門の周りには、様々な制服がたむろしている。
私はそこで、生徒会の面々と顔を合わせた。白鳳の真っ白な学ランは、とても目立つ。

「天音、ご希望通り、応援に来てやったぞ。」

朝早くから集合を掛けられて、雪紀はなんだか不満げだ。
すでに全員揃っているのを見渡して、私は頭を下げた。
「朝早くから、わざわざ慎吾の応援に来てくれてありがとうございます。
きっと慎吾も期待に応えてくれると思います。」
「お、おい…。」

雪紀が言葉に詰まっている。私がこんなに簡単に頭を下げて、謝意を表すことなど考えていなかったのだろう。
だけど私は今、とても幸福で、全ての物に感謝したい気分なのだ。
慎吾が私の為に全力を尽くしてくれて、それを認めて支えてくれる仲間がいる。
こんな素晴らしいことはないだろう。


応援席は、特に決まっていず、ゴール近くに席を確保すると、周りには他校の生徒が入り混じっていた。
私によく懐いてくれている白雪君が、わくわくした表情で、擦り寄って来た。

「凄いんですね、慎吾先輩。他の学校の人たちも噂してます。
俺、先輩がこんなふうに本格的に泳ぐの、見たことないから、ものすごく楽しみです。」
「筋肉蝶々は、本気になるとマジすげぇぜ。速くて…きれいでさ。
いつもバカばっかやってないで、ああいうところをもっとみんなに見せたらいいんだ。」

おや…。隼人の素直な賛辞に、私は嬉しくなる。
お馬鹿ばっかりやっている慎吾も、私の知らないところで、成長しているということだろうか。

「あっ、慎吾先輩だ!」
白雪君が楽しそうに言う。選手控え室から出てきた慎吾は、緊張をほぐしているのだろうか。俯いたまましきりに手首や足首を振っている。
「こっち向かないかな〜。天音先輩が応援に来てるのに〜。」
「いいんですよ、白雪君。」
あれは慎吾のいつものスタイルだ。
恐らく、この観衆の声援も、慎吾の耳には届いていない。
怖いほどの集中力。これが慎吾の大きな武器の一つだ。

やがてホイッスルが鳴った。選手たちが飛びこみ台に上がる。
一瞬だけ、観客が静まる。それこそ水を打ったように。
スターターが大きく手を上げて、一言叫ぶ。
選手たちが一様に体を丸める。
ピストルが鳴った!

慎吾の大きな体がしなやかに跳ね伸びて、飛沫も上げずに着水する。
長い腕が、大きく水を捕らえて後方に押し出す。
こんなにも力強い泳ぎなのに、まるで大きな魚のように滑らかに、慎吾の体が水を割っていく。
私は思わず手を握り締めて体を乗り出した。まだ予選だ。だから慎吾は本気じゃないのかもしれない。
それでも、まったく他を寄せつけない圧倒的な強さで、慎吾は突き進んでいく。

体一つはゆうにリードして、慎吾は一位でゴールした。

立ちあがった慎吾は、ぐるりと振り向いて、真っ先に私を見つけた。
白い歯をきらめかせて大きく手を振る。
「あれっ、さっきまでこっちも見なかったのに…。」
白雪君が不思議そうに言う。私は慎吾に応えて小さく手を振っている。
これは私と慎吾とのいわば儀式。
いつでも慎吾は、泳ぎ終わったなら真っ先に私を見つけてくれる。
どんな大観衆のなかでも。どんなに遠くても。

「慎吾の目には、私しか入らないんです。決まってるでしょう。」
「え…、そ、そうなんですね…。」

自信たっぷりに言う私の言葉を聞いて、白雪君が頬を染めた。
可愛らしい反応に思わず私が微笑みかけたとき、耳を劈くような凄い悲鳴が飛び込んできた。

「きゃあああ! あの1番、あたしのほう見て笑った! 手ェ振ってる!」
「えー、うそーん、イヤーッ、ほんとだ〜っ!」
「きゃあ、投げキッスしてる〜。マジ可愛い〜!」
「あれあたしに気がある? ねえ、あるよね?」
「ねえねえ、あの子、白鳳の桜庭でしょ〜! いやん、けっこうイケテル〜!」

「なんだ、あのうるせー女たち…。」
隼人が振りかえってしかめっ面をしている。私も振り向いた。
私たちの後方、座席を一列挟んだ後ろに、見かけない制服の女子が座っていた。
中央の一人が頬を染めて、慎吾を見つめていた。

「ああ、だめ、あたし桜庭クンのこと、マジ好きかも。」

身のほど知らずな発言が飛び出して、私は鼻の頭に皺を寄せた。