| 2005年 2月 14日(月) |
バレンタイン・パニックの幕開け
登校すると、いつも遅刻すれすれでやってくる慎吾が、珍しく私の来るのを待ち構えていた。
なんともそわそわした面持ちで、私の持ち物を見ている。
私はちょっと呆れながら、白雪にラッピングしてもらった小箱を出した。
「ほら、あなたのお待ちのものはこれでしょう? ちゃんと用意してありますよ。」
「おう、さすが天音! んで…その中身って…。」
「はいはい。あなたが喜ぶと思って、ちゃんとアーモンドをくっつけておきましたよ。
後はこれをどこかに隠せばいいんでしょう?」
慎吾は大きく振りかぶった。まるで大型犬が全身で懐いてくるみたいだ。
「それじゃ、放課後までにどこかに隠しておきますよ。場所は…。」
「待った! 言うたらあかん! 自分で嗅ぎ出すのが楽しいんやないの! それに苦労せな、願い事も叶わんかもしれんで!」
どうせこの顔じゃ、願い事なんて知れている。
閨でのあれこれを私に強制しようというのだろう。私はちょっと肩を竦めた。
「じゃあ、思い出の場所に隠しておきますから。」
なんだかすっかり鼻の下を伸ばして上の空になってしまっている慎吾に、一応それだけ言い置いて、私は教室へ向かった。
そうして授業…といってもすでに自習が殆どなので、その合間に抜け出してチョコを隠した私は、すっかり油断していた。
今にもチョコを見つけた慎吾が、誉めて誉めてと尻尾を振りまわしながら現れるのを待っていたのだ。
だから、その校内の異様な雰囲気に気が付いたのは、昼休みの頃だった。
いやに目を血走らせた奴等が私の回りをうろついている。
中には無礼にも私の荷物を覗き込もうとする奴もいて、どうにも落ち着かない。
食堂でおばあさまの心尽くしのお弁当を広げようとすると、そこにもうざったいほどの視線が絡み付いてくる。
私は開けかけたお弁当を閉じ、きつい視線でぐるりを見返す。
すると、明らかにこちらを向いていた視線がいっせいに逸らされるのが分かった。
「………不愉快ですねえ。」
いつも懐いてくる慎吾はやってこないし。
どうにも食欲の削げる気分でいると、咲良と瑞樹が血相を変えてやってきた。
「天音さん! のんきにお弁当なんて食べてる場合じゃないですよう!
今、天音さんの隠したチョコレートをめぐって、争奪戦が巻き起こっているんですから!」
「………はい?」
目がテンとは…こういう事を言うのだろうか?
咲良と瑞樹に引っ張り出された私が見たものは…学校の敷地内をうろうろとあてどもなくさまよう一団だ。
中にはスコップで地面を掘り返している奴もいる。
いくらなんでもこの私が、食べ物を地面に埋めるものか! 野良犬じゃあるまいし!
「一体どうして…こんな事になっているんです!」
「天音さんのチョコレートを探し出せたら、天音さんがご褒美に恋人になってくれるって噂が立っていて…。」
「そんな破廉恥な…! どうして私がそんな事をすると信じるんですか!」
「お、俺達に言わないでくださいよう! 天音さんも卒業が間近だから、最後のサービスで大盤振る舞いなんだって…みんな信じちゃって…。」
ぐるりと視界が回る気がする。私は思わず額を押さえた。
「そんな事を言いふらしたのは…誰です。」
「それは…そのぅ…。」
ああ、みなまで言うまい。大体において、こんな事をしそうな人物と言えば、きっと…あの人に違いないのだ。
探し人はすぐに見つかった。
食堂の教員用のスペースでぼーっとコーヒー牛乳を飲んでいる祥太郎先生だ。
「祥太郎先生!」
声を荒げる私に、なんとものほほんとした顔で祥太郎先生は振り向く。
どうしてこの間あんなに寝こけていたのに、またこんなに眠そうなんだろう、この先生は…?
いや、今はそんな事を言っている場合ではない。
「先生なにか…バレンタインデーに際して、余計な事をおっしゃいませんでしたか?」
「えー、余計な事〜? 何か言ったかなあ…。」
そろそろ空になりかけているコーヒー牛乳のパックが、ズルズルと耳障りな音を立てる。
最後にキュポンと妙な音を立ててストローを放した先生は、にっこり笑った。
「そう言えば最近はやっているらしい事を、白雪君に聞いて、いくつかのクラスで言ったかも。」
「それが余計な事だというんです!」
「えー? なんで〜?」
祥太郎先生はまったく悪びれない。私は思わずキーッとなった。
「祥太郎先生が余計な事をおっしゃるから! 今至る所で宝捜しみたいに! 私の隠したチョコレートを探し回っている奴等がいるんです!」
「へー、国見くんも参加してたんだ〜。その伝統に…。」
何を空々しい!
「だけど僕、怒られるような事、何にも言ってないよ〜。白雪君に聞いた事をそのまま言っただけだもん。」
「あのう…それは本当です。」
私の剣幕に恐れをなしているのか、瑞樹がそろそろと口を挟む。
「祥太郎先生のおっしゃってた事は、この学校ではバレンタインデーに隠されたチョコレートを見つけ出せたら、思いが叶うらしいよって、それだけです。」
「でも、そもそもその噂自体なんか欠落してるよね。思いが叶っていない人は、チョコレートなんか探してもらえないよね。」
祥太郎先生は呑気らしく笑う。
そんな事は私だってちゃんと分かっているのだ!
こんなわざとらしい噂…慎吾を含む寮の連中が捏造したに決まってる!
それでも、慎吾が喜ぶから、乗ってやろうというだけのつもりだったのに!
「うーん、でも、噂って言うのは正確には伝わらないものだし。」
祥太郎先生は意味ありげに目を細めた。
「桜庭君がすごく嬉しそうに、天音が隠したチョコを探してる〜って、吹聴して歩いてたのも、ちょっとは計算に入っていたかな。」
やっぱり…!
この確信犯…!
「ところで、こんなところで油売ってていいの? 桜庭君より先に、誰かにチョコを見つけられちゃったらまずいんじゃないの?」
祥太郎先生の言葉に、私は我に返った。廊下を、生徒の一団が声を上げながら通りすぎていく。
このままでは、最初に見つけた先着1名さまに、私の操が奪われてしまいそうだ。
先回りしなくては!