2005年 2月 27日(日)

効率よく

ああ、どうしていちいち波風を立てないと気がすまないのだろうか、我が祥太郎先生は。
咲良が珍しくきりりとつりあがったまなざしで祥太郎先生をにらみ、逆に瑞樹は今にも涙腺を決壊させそうだ。
直哉は…と振り返ってみれば、なにか思いつめた顔をして、じっと祥太郎先生を見つめている。

「君たちだって、気持ちよく卒業生を送るためにこうして努力しているわけでしょう?
それなら、やっぱりスムースに卒業してくれたほうがいいんじゃないの?」
「おっ、俺たちは確かに式次第が滞りなくいくように努力はしてますけど!」
「でもそれが、さっさと卒業してほしいとか、そんなことじゃありません!」
「んー、僕もそこまでは言ってないけど。」
祥太郎先生は膝の上の本をもてあそんで、それからゆっくり首をかしげた。

「だってしょうがないじゃない。僕は一応教師なんだから、生徒たちを見送るのも大切な仕事だもん。
直哉君たちが卒業したら、次の月にはもう新しい生徒たちが入ってくるんだから、いつまでも卒業した生徒たちのことばかり考えてないで、
また新しい生徒たちを世に無事に送り届けられるように心を砕くのが、僕にとっての最優先事項だと思うんだ。」
「だからって…寂しくないなんてことにはならないじゃないですか!」
珍しく瑞樹が食い下がる。
カノンが卒業して、いつまでもそれを引きずっていた瑞樹のことだ。こんなドライな発言は許しがたいのかもしれない。

「…祥太郎先生、なんか無理してるみたい。」
白雪がつぶやく。
「いつも、俺たちをからかってるときの、楽しげな様子が見えないもの。あれは多分…先生の本心じゃないんじゃないかな。」
「祥太郎は意地っ張りだからな。」
おとなしかった隼人も、それに相槌を打つ。
雪紀はついにタバコに火をつけてのんきそうにくゆらせているし、慎吾はといえばなぜかきっちり正座をして、馬鹿みたいに口を開けっ放しで事の成り行きを窺っている。
私もこれが祥太郎先生の本意とは思いがたい。しかし、煮詰まっている咲良と瑞樹には、そこまで考えが回らないらしい。
とはいえ、これは祥太郎先生の本心を聞く、いい機会かもしれない。

「咲良君は、白鳳に入ってきて、それで瑞樹君という親友に出会ったわけでしょ。」
「え、ええ…。」
二人はしぶしぶうなずいた。
「それまでは海外にいて、きっと日本にやってきて白鳳に編入することになったときには、ものすごく不安とかもあったんじゃない?」
「それは…まあ…。」
「もちろん日本に来て、すべてが楽しくていい思い出ばかりじゃないとは思うけど、それでも変化があったからこそ楽しい思いもしたし、自分も大きく成長できたでしょ。
そう思うと、ねえ、別れって寂しいことばっかりじゃないと思わない?」
「う…。」
よせよせ。もともと祥太郎先生に口で勝とうなんて思うほうが間違っているのだ。

「だいたい、君たちは寂しがることなんてないよ。1年たてば、すぐにでもみんなの後を追いかけて、好きなところに行けるんだし、そこには新しい出会いもお友達も…待っているんだから。」
一瞬、祥太郎先生の口調が淀んだ。

「大学って言うのは、勉強よりむしろ、人生の基盤を作るところだよ。
たくさんのいい出会いと経験をして、そこから先の人生を充実させなくちゃ。
僕はここにとどまって、みんなのことを見守るしかできないけど、みんなは未来に目を向けて、自分を磨いていかなくちゃ。
だから僕のことなんてきれいに忘れてかまわない。僕も、………足かせにならないように、みんなのことなんてきれいに忘れるんだから。」

「珍しくおとなしいと思ったら、そんなことを考えていたんですか、あんたは。」

突然直哉が口を挟んだ。
祥太郎先生はピクリと肩をすくめると、直哉を見上げた。

「あいにく俺は、諦めが悪いたちでね。あんたがそんなことを言っても、簡単に忘れてやることなんてできやしないんです。」
「今は…そんなことを言ったって、大学に進めばいろんな素敵な人たちと合うことになるんだから。
僕よりもっといい人にだって出会うに決まってる。そんなときに僕がまだしがみついていたら、絶対直哉君にマイナスになっちゃうんだよ。
だから、卒業したらもうきっぱり僕のことなんて忘れていいんだってば。」
にっこり笑っている先生の口元がわずかに歪んだ。
まあるいほっぺたが、赤く染まってその上を何かが転げ落ちる。
透明な涙だ。

雪紀が何かつぶやいた。
結局これか…とか言ったのか?
咲良と瑞樹も、いまはもうすっかり息を呑んで成り行きを見守っている。
直哉が静かに立ち上がった。

「何度でも言います。俺はあんたが大事で必要なんだ。
俺からこの手を離すことはありえません。あんたが嫌だって言ったってだめです。
もうあんたは、俺に捕まっちゃったんだから。」
「だって…、だめだもん、直哉君はうんと立派になれる人なんだから。
僕になんかかまってるヒマはないはずなんだから。
直哉君のためなんだってば! 僕は…僕は我慢するから!」

ついに先生の顔がくしゃりと歪んだ。
涙がいくつもいくつも溢れ出して、膝の上の本に跡を残していく。

「わからない人だな! 俺があんたを放せないって言ってるんだ。
俺のためとか、未来とかなんて関係ない!
あんたなしでは俺の未来は一歩も立ち行かないんだ。それはあんただって一緒でしょう!」

大きな手に両方の肩をつかまれて、先生は小さくうつむく。そして弱弱しくかぶりを振った。
そんな可愛らしい仕草は返って逆効果だと思うが…。それにしても。
………なんとまあ、これがいつも私たちを振り回してくれる祥太郎先生と同一人物だとは!
直哉の前では…ずいぶんしおらしいものだ。

直哉が舌打ちをした。ひょいとかがむと、祥太郎先生の華奢な体をあっという間に抱えあげていた。
姫だっこなんてうそ臭いものではない。まさしく小脇に抱えた状態だ。
腹回りを直哉の腕に拘束されてブランとぶら下がった祥太郎先生は、一瞬あっけに取られた顔をして、それから猛烈に暴れだした。
無論、直哉の力の前には手も足も出ない。

「言ってもわからないんなら、わかるようにして差し上げますよ。」
直哉の言葉を聞いた途端に、隼人がハッと息を呑んだ。

「白雪! 帰るぞ!」
「え? な、なんで? まだ作業終わってな…。」
「いいから帰るぞ! 俺はやだかんな! そんな場に居合わせるの!」
物凄い勢いで白雪の手を引っつかんで、出て行ってしまう。
それを見送った直哉は、私たちのほうに振り向いた。

「お前らも帰れ。俺はこの人を、仕込み直さなきゃならないんだから。」
「や、やだやだやだ! 直哉君、放してってば!」
じたばた暴れる先生を抱えたまま、直哉はのしのし歩く。
そして、奥の、寝室の戸がパタンと閉ざされ……え?

「「きゃ──────っ!!!」」
「やれやれ、タバコくらいゆっくり吸わせろよな。」

咲良と瑞樹が黄色い声を張り上げ、雪紀がにやつきながらぼやく。
「直哉さんと先生、いつの間にかそんなことになってたんだ!」
「わ、わ、じゃああの扉の中で今頃祥太郎先生………ひゃ────────っ!」
君たち…下世話な想像は止しなさい。

「いくぞ、お前ら。俺は他人の睦み声なんて聞く趣味ないからな!」
「し、知らなかったー! 直哉さん、やるう〜!」
「祥太郎先生が…あの祥太郎先生が、あんなに可愛くなっちゃって…!」
あ、それは私も賛成。
しかし直哉のやつ…とっさに祥太郎先生の逆切れを利用して、自分たちの関係を効率的に私たちに知らせたな。
ちゃっかりした奴だ。

結局私たちは、やりかけの仕事も放置したままで帰途に着いた。
帰り道は今の二人のことで持ちきりだった。
私はといえば、あの二人に感化されて、いきなり発情してしまったらしい大きな愛犬をもてあましていたが。

明日以降どんな顔で祥太郎先生が学校に来るのか…ちょっと楽しみだな。