| 2005年 3月 6日(日) |
桃の節句 3
少し早めに学校を抜け出して家に戻ると、家中いたるところに桃の花が咲いていた。
おばあさまと母が襷がけでお料理をなさっていて、そばに野乃香も立っている。
おばあさまのを借りたのだろうか。野乃香は白い割烹着を着込んでいて、それがまた愛らしい。
「あっ、天音ちゃん、おかえりなさい〜。野乃香ねえ、お雛様のショートケーキを焼いてきたのよ。後でみんなで食べようねえ。」
「ありがとう。それは楽しみですね。」
野乃香のお菓子作りは天下一品だ。みんなもさぞや喜ぶだろう。
「あら、天音さん、皆さんは?」
おばあさまが戸惑うような表情で問いかけられる。私はにっこり笑った。
「ちゃんと呼んでありますよ。おばあさまのご期待には逆らえませんから。」
「ああ、よかった。おひつにたくさん散らし寿司を作ってしまったから、万が一誰も見えないとなったら、1週間くらい毎日お食事が散らし寿司になるところでしてよ。」
それはさすがに遠慮したいな。
おばあさまに指図されるままに、客間のお花を直したりしていると、玄関がにぎやかになった。
そういえばそろそろ学校も終わるころだな。
迎えに出てみると、やっぱり生徒会の連中だった。
「天音さん、おばあさま、お招きいただきましてありがとうございます!」
咲良と瑞樹は、それはもう花もほころぶような笑顔だ。
その後ろで、白雪と隼人が緊張した顔をしている。祥太郎先生は大きな花束を抱えていた。
「これ、おばあさまに。いつも美味しいお料理をありがとうございます。」
「まあ、小手まりね。可愛らしいこと。」
「いえ、急なお誘いだったので、こんなものしか用意できなくてすみません。
華道家のおばあさまにこんなものは珍しくもないかもしれませんけれども、この可愛らしいお花っておばあさまのイメージだと思いまして。」
さすが祥太郎先生、口がうまい。
おばあさまはすっかり喜んでしまってニコニコしていらっしゃる。
学校から姿を消していた雪紀と直哉もじきやってきた。二人とも大きな包みを持っている。
「おばあさまに、大好きな御酒をお持ちしました。
これは最近、父が親しくしている蔵から直接送られてきたもので、味は父のお墨付きです。」
父が、というより、自分がなのだろうが、そこまではさすがに言わないな。
「俺はこれを…母が先日上海で買い付けてきたシルクのストールです。
数がありますので、皆さんで分けてください。」
さすが抜け目ない二人だ。これで女の子のお祭りに参加するのに大いに名目が立つのだろう。
「あーずるい、雪紀さんたちばっかり…。」
「そうですよ。これじゃ俺たちが、ご馳走だけ食べに来たいやしんぼみたいじゃないですか〜。」
………そのとおりじゃないか。
「あらあら、いいのよ。あなたたちは私の無理を聞いて来てくださったんだから。
お料理するにも張り合いがなくっちゃねえ。」
おばあさまは屈託なくおっしゃると、先にたって歩き始めた。
客間には、割烹着を脱いだ野乃香が待っていた。
今日の野乃香のお着物は、紅色の地にたくさんの梅が散った絣だ。それに長い髪をまっすぐにたらしている。
毎度思うのだが、女の子というのは、その場にあわせて自由自在に髪型から雰囲気まで変えられるものなのだな。
野乃香はその気になればフランス人形から博多人形まで、いとも簡単に変身を遂げて見せる。きっとバービーにだってなれるのだろう。
食卓の上にたくさんのお料理が並べられている。雛祭りにはお決まりの、雛あられと菱餅も、ちゃんと控えている。
「さあ、それじゃあ、まずは白酒ね。」
おばあさまの合図で、我々は杯を手にした。
健啖な男子高校生の胃袋はさすがにすごい。おばあさまたちが一生懸命用意されたたくさんのご馳走が瞬く間に減っていく。
雛祭りらしい、散らし寿司や菜の花のおひたし、ハマグリのお吸い物。そしておそらくは慎吾などを大いに意識したフライドチキンやフライドポテトなどもきれいに消えてゆく。
「あ〜ん、デザートには野乃香のケーキも食べてくれなくちゃいけないんだから、みんな食べ過ぎちゃ嫌よ。」
野乃香が心配しているが、そんな心配は無用だ。
こいつらは別バラを3つも4つも持っている。
「野乃香ちゃん、今日も可愛いねえ。紅色のお着物がとても似合ってる。」
如才なく、雪紀が褒める。野乃香の隣に座っていた皐月嬢は眉間にしわを寄せたが、野乃香は無邪気に喜んでいる。
「ありがとう〜、雪紀ちゃん。これねえ、おじいちゃまが今日のために誂えてくださったの〜。」
「ああ…、あの翁ね。」
雪紀はちょっと肩をすくめた。久遠院翁は雪紀にとっても苦手の一部だ。
「野乃香ねえ、天音ちゃんと結婚したらお振袖着られなくなっちゃうから、今のうちに着倒しておくんだ〜。」
「あら、若いお嫁さんになるんだから、まだ着ていてもいいんじゃありませんか。」
「本当〜? おばあさまがお許しくださるなら、野乃香どんどん着ちゃう〜。」
はいはい。私はまだ当分結婚して落ち着くつもりはありませんが、お二人が仲良くするのはいいことです。お振袖でも十二単でも着てください。
この若さで嫁姑の仲裁をする気分を味わうとは思わなかったな。
「本当にきれいだねえ、そのお着物。」
直哉を避けてか、ちゃっかり野乃香の傍に席を確保していた祥太郎先生がニコニコと言う。
「僕も昔、そんなお着物着せられて写真撮ったけど、こんなに上等のお着物じゃなかったな。」
…………はい?
今先生、不思議なことをおっしゃいませんでしたか?
「あら、祥太郎先生、こんなお着物を召されたことがあるんですの?」
「はあ、子供のころは母の意向で、女の子みたいな格好をしていましたから。」
「まあ、それはぜひ、そのお写真を拝見したいわ♪」
「…ええ、それじゃ今度お持ちしましょう。」
やや間があったのは、祥太郎先生が直哉の様子を伺ったからだ。
直哉は目をひん剥いて祥太郎先生を凝視している。これは祥太郎先生の意趣返し…なのだろうな。
こうしてまたも祥太郎先生のなぞを深めて、おばあさま企画の雛祭りは終わった。