| 平成15年 12月 14日(日) |
何のために生きるのか
昨日の21時からNHKで、太平洋戦争中に前線の兵士達が書いた手紙を紹介する
「最後の手紙」という番組がやってたので見ました。かなり泣きそうになりました
ね。途中で東京の酔っ払った方々からかなりハイな電話がかかり、ちょっとムード
を壊されましたが(苦笑)。いやアレはアレで久しぶりに話が出来てよかったです。
んでその番組で色んな前線で書かれた手紙を紹介するんですが(南洋諸島が多かっ
たかな)、てっきりTは「お国のために〜」とか何とか書いてると思ったんです。
でもそんな事書いている兵士は一人もいませんでした。みんな日本へ残してきた家
族や恋人の身を案じているのです。軍の上層部(サイパンの司令官だったかな?)
の人でさえ最後には妻に「幸せに長生きして欲しい」と書いてあるのです。(その
手紙を今でもご健在の奥さんに届けるシーンは涙をさそいました)
と、ココで疑問が生じてきました。「お国のために死んできます」とか「天皇陛下
のために命を捧げます」とか兵士たちは少しも思っていないのです(もちろんそう
思ってた方もいるでしょうが)。では何故その兵士たちは集団自決や無謀な突撃で
命を自ら絶ったのか。お国のために、という使命感に燃えていたからではないので
す。何故でしょう。Tは番組が終わったあと、布団に寝転んで、シーズンオフには
めったに聞かないラジオを聞きながら考えました。
ここで少し閃きました。兵士達は何のために生きていたのだろう、と。もちろん戦
地にいない時は「お国のため」と思っていたはずです。しかし前線に赴き、圧倒的
な強さを誇るアメリカ軍を見たとき、兵士たちの士気はかなり低下していたはずで
す。そうすると「お国のために死ぬ」という行為がどれほど意味の無い事か、どれ
ほど相手にそれほど影響を与えない事か、というのを知ったと思うんです。とする
と兵士たちは“何か”のために生きていて、その“何か”が無くなった、つまり自
分の存在理由がなくなったから死を選んだのではないかと思いました。
では自分はいたい何のために生きているのだろう、と考えました。いざ考えてみる
と、普段そういう事を考えずに「のほほ〜ん」と生きてるんで難しいですね。うぅ
〜んとしばらく考え、またまたぱっと閃くものがありました。あれは確か・・・保
健の資料集に載っていた筈・・・あ、「我々は幸せになるために生きている」だ!!
そうです。保健の資料集には確かにこう載っていました。「我々は幸せになるため
に生きている」と。確かに言われてみれば、家族に囲まれながら美味しい物を食べ、
周りには友人達がいて、さらに自分の愛する人がいるからこそ人間は生きており、
さらに幸福を追求する(例えば「憧れの○○さんとデートしたい!!」とか)ために
生きている、という事です。
ではそれを前線の兵士たちに当てはめてみましょう。そうすると戦地には家族もい
ず、愛する人もいないのです。遠く離れた日本にいるのです。しかも目の前にはア
メリカ軍がいるのです。そうなった時にあなたは死を選びますか?それとも米軍に
投降しますか?Tは“死”は怖いものだとは思いますが、多分自分がその場にいた
ら死を選ぶと思います。当時の日本軍は「アメリカは捕虜をどう扱うか分からない
し、投降する奴は非国民だ」という教育を受けていた事を差し引いても、死を選ぶ
でしょう。なぜなら、家族も愛する人もいない戦地で米軍に囲まれた時、兵士たち
は「幸せになる道を断たれた」と思ったに違いないからです。「投降したら捕虜に
なって、いずれ日本へ帰り幸せになれるじゃないか」と思う方もいるかも知れませ
んし、そこは実際に戦地に赴いていない私達にとっては理解に苦しむところだと思
いますが、しかし、家族も自分の愛する人たちのいない“戦地”という極限状態の
中で長い間生活していると、日に日に生きる希望がなくなってくると思うんです。
そういう中、米軍に囲まれた兵士たちは「幸せになる道を断たれた」と感じ、深い
絶望感を感じたに違いないのです。だから兵士たちは死を選んだと思うんです。
そうすると、現代社会において、自殺する人たちはやっぱり「幸せになる道を断た
れた」と思うから自殺するのでしょう。このような社会のままでは決していいわけ
がありませんし、改善が必要です。しかし具体的にどうする事が必要なのか。これ
は残念ながら今のTの頭の中には考えが浮かんできていません。これは人間一人ひ
とりが考える必要のある、重要なことだと思います。