平成16年 1月 17日(土)

1・17を忘れない・・・

発生年月日・・・1995年1月17日(火)午前5時46分
地震名・・・1995年兵庫県南部地震
震央地名・・・淡路島(北緯34度36分、東経135度02分
震源の深さ・・・16km
規模・・・マグニチュード7.3
死者・・・6,433人   行方不明者・・・3人
重傷者・・・10,683人  軽傷者・・・33,109人
人的被害合計・・・43,792人
住宅全壊・・・104,906棟 186,175世帯
半壊・・・144,274棟 274,182世帯
住宅被害合計・・・249,180棟 460,357世帯(ただし損壊を除く)
                     神戸新聞「大震災関係データ一覧」より

上記がいわゆる阪神大震災の被害状況です。阪神大震災の時は、(前にも書きました
が)Tはまだ小2でした。最近何となく部屋を掃除してたら、その時の作文が出てきて、
それを読むと昨日の出来事のようにはっきりと思い出します。

その日、当然時間が時間ですからはTは眠っていました。しかし、何故か地震の直前
に目が覚めたんです。これがいわゆる動物の本能という物なのかは今となっては分か
りませんが、その直後にものすごい揺れを感じました。その頃のTはまだ地震という
ものをあまり経験しておらず、とっさに布団にもぐり込みました。一旦おさまったか
と思うとまた揺れだすというのが何分か続き、そしてTVをつけて被害状況を確認し
た記憶があります。大阪は震度4でした。

そして朝になって周囲が明るくなってくるとだんだん被害状況が明らかになってきま
した。我が家ではTVが落ちそうになったり、タイルが割れたりという程度で済みま
したが、宝塚に住む従兄弟の家(マンション)はタンスが倒れてきて、間一髪助かった
そうです。しかしTVの映像はそれ以上に小2の心にはショックでした。なぎ倒された
阪神高速…その上にあって今にも落ちそうなバス…燃えさかる神戸の街…神戸の壁…
焼け野原と化した商店街…5時46分で止まったままの明石の天文台の時計…ちなみに震
災当日は学校があり、高台にある学校の運動場から燃えさかる神戸の煙が見えていま
した。その煙の下で何千人という人が亡くなったと思うとぞっとします。

鉄道の被害も深刻でした、新幹線は今津線を跨ぐ高架橋が落下、阪急は西宮市内の高
架橋が崩壊、三宮阪急ビル破損、阪急伊丹駅崩壊、阪神石屋川車庫崩壊、神戸高速大
開駅(地下駅)陥没、山陽塩屋駅付近の盛土崩壊…特に大開駅の被害は深刻で、地下
駅の線路間にある全ての支柱35本が押しつぶされ、厚さ50センチのコンクリート天井
が120mM字型に陥没しました。実はちょうど5時46分に東二見発阪急三宮行特急(第
0500K列車)が大開駅を通過しており、6両目がホームを離れた直後、大開駅は崩壊
したそうです。もしちょっとでも時間がずれていたら…おそらくひどい状態になって
いたでしょう。幸いこの時乗員乗客は全員無事でした。

そして震災から9年たった今年。だんだん風化され、震災の記憶が薄れている中、今
一度気を引き締めなければなりません。そのために、1・17宣言というのも発表され
ています。亡くなった方々のご冥福を祈り、再び大地震が起こっても被害を最小限に
するために努力しなければなりません。南海・東南海・東海地震が起こると死者が2万
8000人以上と言われている今、それは非常に重要な事です。

阪神大震災…1・17を忘れない…


「1・17宣言」

1月17日は忘れない

震災は
家族や友人の貴い命と
それまで私たちが築き上げてきたものを
一瞬にして奪い去った

あの日以来
9年にも亘る長い復興への道を
私たちは歩んできた

道のりは決して平坦なものではなかった
かけがえのない犠牲を代償に得た教訓と
内外からのあたたかい支援をちからに
一歩一歩を積み重ねてきた

いまなお続く復興の歩みの中で
街並は新しく生まれ変わり
人々の生活ももとに戻りつつある
しかしやっと取り戻した平穏な日常は
あの時得た危機感や教訓
険しかった復興の記憶を薄れさせる

いまこそ確かめよう
これまでの私たちの歩みを
私たちが今いる場所
そして
私たちがこれからすべきことを

震災を乗り越え
再び築いてきたものが
もう二度と崩れることの無いように
そして世界中の人々の
明日の安全と安心に
役立つことができるように
                  2004年1月17日
                  1・17人類の安全と共生を考える兵庫会議