2020年 1月 6日(月)

オレも そう 思う


3連休前日


とっているメルマガの記事から

書き手は 同い年のTV局勤務の「自転車通勤の流布に貢献している:疋田氏」

以下 抜粋


■それにしても東京と地方の格差

 それにしても、こうして東京に帰ってきますと、相変わらずの東京のピカピカぶりばかりが目につくわけだ。というのは逆に地方がピカピカじゃないというのが殊更に目立ったからなんだ、今回。
 飛騨高山に行ってましてね、特急ひだから見える風景や、レンタカーの車窓から見える風景、歩いて見える風景、その他、なんだか大げさに言うなら「途上国の風景」のように見えた。
 これは飛騨高山だからというわけじゃなく、日本の地方の風景がそうなりつつある。
 1つ目の理由は、空き家が多いからだろう。
 誰も住まない、手入れをしない家屋は、特に雪国の場合、急速に劣化していく。
 ボロボロに朽ちた家、もう誰も住めない。でも、それを誰かが取り壊すわけでもなく、昭和の意匠のまま何軒も何軒もロードサイドに放置されてる。これが「劣化した昭和」感を深めている。
 そして、もう1つの理由は、もちろん高齢化だ。
 家々の壁がひび割れ、変色し、庭が雑草だらけになり、錆びた自転車や壊れた植木鉢や何だか分からないゴミなどが無造作に玄関前に放り出されてる。空き家かと思いきや、それでも洗濯物だけは出ているわけだ。
 この家に住んでる人が高齢化し、本来なら手入れをしなくちゃと思っていた部分に手が回らなくなった結果なんだろう。でも誰もそれを手伝えない。数少ない若い人たちだって目の前にある自分のことや仕事のことで手一杯。
 集落を歩いていても、すれ違うのは高齢者ばかりだ。

■一番の格差は「気力の格差」だ

 人口減少も高齢化も格差も、今、地方で爆発顕在化しようとしてる。東京と地方の差は今やシンガポールとマレーシア程度には拡がってる。少なくとも私にはそう見える。
 格差ってのは必ずしも経済格差だけじゃない。高齢化による活力の格差、行政サービスの格差、インフラの格差、そして一番思うのが、明日のために何かをしようという気力の格差だ。
 お年寄りに「未来のために今こうしよう!」と言っても、ある程度以上の年齢になったら「いや、わしゃこのままでいいよ」というだろう。そりゃそうだ。「未来のために」の「未来」が自分に来るかどうかが分からないんだから。
 とある地方都市でのアンケートにこんなのがあった。
 巨大津波がやってきたとき自分が逃げる避難場所を把握していますか?
「把握していない、逃げない」がかなりのパーセンテージを占めていた。
 理由は「そのときは終わりのとき」「家と一緒に死ぬ」「あきらめる」だった。

 正月早々、暗い話題でナンなんではありますが、今年、2度目の東京五輪が終わった後、問題解決はいよいよ待ったなしになる。そして打てる手は少なく、いずれも難しい。
 今年2020年という年は、そういう「高揚と沈滞」のジェットコースターのような年になるんだろうなぁと思ってる。


抜粋 終わり



ただね

まだ 起きていないことを心配するより

「こうなったら いいなぁ」をノートに書け

別なところで読んだんだよね〜


それにも同意だわ