2012年 6月 1日(金)

ひとつやいと

お昼のニュースで「瑞龍寺のひとつやいと」が流されていた。
そうか、もう6月なのか。
よく父と母を、この「ひとつやいと」に連れてきたことを想い出した。
いつも近所の「信ちゃんのお母さん」も一緒だった。
今は、もうみんないない…。
信ちゃんは中学の時に海で亡くなった。
信ちゃんのお母さんは、いつも私を見ては「成長した信ちゃん」を見るようで泣いてばかりいた。
母たちが「ひとつやいと」をしている間は私は瑞龍寺の境内を散策。
今はどうか知らないが何やら露店も出ていて賑やかだった。
若いときは、それほど寺には興味がなく、ただただ暇つぶしにブラブラしていたものだった。
先日の「永安寺」もそうだが禅宗の寺は、すっきりとしていて気持ちがいい。
歳をいくと、こんな環境が身に合っているようで実に落ち着く。
そのうちに京都の寺巡りでもやったみたいと、真面目に思うのだった。