2013年 4月 19日(金)

旧街道を走る

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きょうも何とか晴れている。
西行法師の弟子、「西住」の噴碑を探しに旧北陸道の街道筋「大清水」に出かける。
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パッと目に入るのがこの古めかしい建物というか塀。
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中山道の馬籠宿にある「藤村記念館」を思い起こされる。
お寺とお寺の間にある屋敷で由緒ある家柄のようだ。
例によって近所の「ばあちゃん」に解説をお願いする。
やはり、この一帯では一番大きな屋敷で権力もあったとのこと。
今は誰も住んでいないとのことで、このまま朽ち果てていくのでは、と残念な思いだ。
大清水は戸出、中田よりも早く栄えた所で加賀のお殿様もよく鷹狩りに来た所で、いわゆる「御旅屋」があった所だ。
そしてこの屋敷の表札が、まさにその「御旅屋」だった。
間違いなく江戸時代には、ここに「御旅屋」があり殿様も立ち寄った所だろう。
表門の瓦の上には、こんな魔よけの人形が左右両方に鎮座していた。
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屋敷の中を少し覗いたが南砺の十村屋敷跡同様に過去の栄華もどこへやら荒廃の道をたどっていた。
ばあちゃん曰く、「私が嫁に来た頃は、立派なお家でなかなかのものやったわ」
家が絶えた訳でもなさそうだが、もう娘さんたちは東京に行ってしまったようだ。
そのうちに取り壊されてしまうかもしれない…。
さて、お目当ての「西住」の墳碑は、その屋敷の隣の寺の中にあった。
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何でも、この石は本当は西住の故郷、庄川の三谷村にあったそうな。
御旅屋を建てる時に周辺から「石」を集めたときに間違って持ってきたので、
奉行が元に戻すように指示したのだが、このお寺の住職が、せっかくだからと懇願してこの地に置かれることになった。
一時は残念がる三谷の人達によって戻されることもあったようだが今は誰もそんなに感心もなく、この地に落ち着いている。
近所の「ばあちゃん」に、そんな話しをすると「へぇーい」と初めて知ったように、うなづいていた。
写真を撮っていると近所の小さな女のこも寄ってきて「何、しとんがぁ?」
他のおばちゃんも「ご苦労様です」。
さながら報道局のカメラマンの心境。
帰ろうとしたとき、住職らしき人を見つけたので「これ、西住の碑ですか?」と問うと、「そうや」と、
意外と、あっさりと、さしたる説明もなく寺に入って行かれた。
腕に何か腕章でも付けておればよかったかな…。
近くの田んぼではこんな風景が…。
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